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時代の証言者たち~道の途上でふれあった些細な物語~

転職を繰り返してきた『僕』。半年~2年以内という短いスパンで在職してきた中で、各会社・集団には必ず ”記憶に残る人物” が存在した。筆者の人格形成に影響を与えたその人物たちとは?人生の入力時期と言われる20代から30代前半の『僕』が、出逢って感じた人物像を、人生という壮大なドラマの一コマとして綴る、期間限定のブログ。

”生粋の職人気質”な親方 VS ”厚顔無恥”な若造

その人は、草刈り職人 & 配電線工事の装備資機材の耐電圧試験の親方だった。

 

50代後半。既婚者であり、子どもがいて、孫もいる。

福島県出身なので、会話の語尾のイントネーションが尻上がりにあがる。

「ホンダさんは『ズーズー弁』だ」と、社内ではもっぱら言われていた。

 

 福島に移り住んだことのある僕だが、福島弁(!?)は好きだった。

「お互い様」という言葉があるけど、福島では、「お だ が い さ ま」と、「た」ではなく「だ」と濁る。

福島出身の同僚に理由を訊ねると、「きっと、特別な意味はないんだろうけど・・・。その方が、温かみが感じられませんか??」という答えが返ってきた。

 

なるほど!僕も同感で、この福島弁で話すホンダさんの第一印象はとても良く、スタートは良かったのである。。。

 

 

あれ!?っと感じ出したのは、最初の耐電圧試験場所である、中営業所での出来事であった。

僕には、この会社で、唯一無二の同僚が一人いた。同時期に入社。所属営業所は別。

耐電圧試験は期間限定での招集のため、日頃は皆々、所属の営業所で各々の専門分野に取り掛かっている。同僚は僕より年配で、感じの良い方だった。 別な言い方をすれば、”普通の方”。

だから、この同僚が、ホンダさんと一戦交えて自主退職することになったときのことは、鮮明に覚えている。

 

「何をやっているのかね~~~」

と、仕事の流れがスムーズにいかなくなると、僕たち下っ端をシゴき出すホンダさん。

上手くいかない理由も聞かず、とにかく「お前らは駄目だ」的な態度で接してくる。

それに反応した同僚。

 当然だったと思う。

 今思い返してみても、気の毒だったとしか言いようがない。

 

ホンダさんの、癇癪持ちな ”短気な” 一面を存分に経験した一方で、”忍耐強い” 一面も覗かせた場面がある。

親会社にあたる役員が、現場を視察に来た時なんかは、とにかく胡麻をすっていた。

”ヘラヘラした態度” の模範解答を示してくれた。

「上に立つ人間は、下の者には分からない大変さを抱えているんだ」と自分に言い聞かせて、耐電圧試験の現場に出向いてた記憶がある。

 

そんな中、ついに僕が筆頭になって、事件が起きたのだった。。。

 

 

中営業所 小田原営業所 横須賀営業所 高島営業所

という、神奈川県内の様々なエリアに耐圧しに行く。

中営業所は横浜市の中枢に位置し、とても大きかった。中営業所が終わった段階で、耐圧メンバーが一気に絞られた。ホンダさん、元電気工事士のおじさん、そして僕の3人。

 

12月だった。これから冬本番!という寒い時期、小田原に遠征しに行ったときだった。

 

”大将”

と、皆から呼ばれる、社長のお兄さんがいた。60代後半、だから結構な御歳。体格が好く、歳の割には肉付きが良い。大将という愛称は、そのガタイのよさと貫禄のある雰囲気からだろう。とにかく迫力が違った。

この大将、一言でいうと、悪い人ではないんだけれど、現場仕事が出来ない方だった。

つまり、時間の制約をまったく意識してくれないから、周りの人は肝を潰したと思う

。平たく言えば、イライラ・・・

 

中営業所のときに、2回ほど応援に来た。実際は応援とは呼べない。油を売りに来ただけだ。 

小田原営業所以降は、元電気工事士のおじさんがお休みの時、大将が来た。

困った。

どうやって、大将を失礼のないように煽っていくか?こっちのペースに持っていくか?

事件はそんな状況下で、勃発した。

 

 

この状況を知っているにも関わらず、親方であるホンダさんがまったく大将を叱責しない。

日頃、さんざん僕や元電気工事士のおじさんには当たり散らしているのに、大将には何も言おうとしない。

その理由が、社長の兄貴だからなのか、「ホンちゃん」と大将が愛称をつけるぐらい昔からの ”よしみ” の仲だからなのか・・・

いずれにしても、仕事に支障がある動きっぷりなのだから、言うべき場面では言って欲しい。もし、どうしても本人に言えないのなら、社長や取締役の人に相談すればいいと思う。。。

僕がはっきり言ってもよかった。

でも、角が立ちませんか??

 

後日になって、ホンダさんから「スケジュールが遅れている」と騒がれても、「その主な理由、あなたも知ってますよね?」と、僕は僕で言ってやりたい。

 

 いや、ついに言ってやったのだった。

会社に戻る際。

トラックを元電気工事士のおじさんが運転してくれているとき。

僕が助手席、運転席にはおじさん、間にホンダさん。だから、物申しているとき、二人の表情がよく見えた。

おじさんは、表情一つ変えず、凍り付いている感じ。

肝心のホンダ氏は、、、

これまた、表情一つ変えず。目はずっと閉じたままだった。かたくなに。

 

この日以降、何もやかましいことは言われなくなった。

反対に、僕は ”いないもの” として扱うことで、先日の出来事に応戦している感じだった。

 

そんなこんなで。

耐圧試験の方は、すべての作業を終え、結果としては予備日までくい込むことなく終えられた。

 

 

この2か月後、東日本大震災が起きた。

 

東京電力の子会社の子会社ぐらい、つまり『孫請け会社』ぐらいのポジションが僕の会社だった。

僕は、「この会社では、先細りで未来がない」と踏んで、退職の意向を示した。

言葉は悪いが、この会社と一緒に心中するつもりはなかった。

 

退職の挨拶廻りの時期、ホンダさんに電話しようか迷った。

人として、好きになれない一面もあったが、お世話になったのも事実。

今現在、あの当時を振り返ってみると、、、

あの出来事をきっかけにして、”たとえ相手が上司でも、そして、たとえ上司の『逆鱗に触れる』ことになっても、言わなければならないときには言う”  という精神が培われたように思う。

 

思い切って電話することにした。

電話には出てくれた。

耐圧試験のときとは全然違う口調で、終始、福島弁の穏やかで優しい話しぶりだった。

電話を切った後、「本当は皆、性悪な人なんていないのかもしれない。でも、お互いの立場やプライド等、複雑な人間関係の中で、みんな我慢してやってるんだな。」

そんなことをポツリと思ったことを記憶している。

 

 

 

最後に。

営業所に帰るときトラックで二人きりだった場面がある。そんな折、ホンダさんから教えられた、忘れられない一言で締めくくるとする。

 

親孝行したいときには お金がなくて

親孝行できるときには 親がいない

「そういう言葉があることを覚えておくといいよ。」